平成28年6月26日(日)~7月1日(土)の期間、英国エディンバラ大学で開催された、The International Society for the Study of Time Sixteenth Triennial Conference and the 50th anniversary of the founding of the ISST. “Time’s Urgency”26 June to 2 July 2016, University of Edinburgh, Scotland UK. に日本時間学会からは、椿井真也さん(立命館大学・学振特別研究員)が参加しました。

 

国際時間学会(ISST)2016に参加して

 椿井真也(立命館大学/日本学術振興会特別研究員)

2016年6月26日から7月2日にかけて、英国エジンバラ大学にて開催された国際時間学会(ISST)2016に参加・発表する機会を得たので、この場を借りてその内容を報告したい。

日本からエジンバラへの直行便がないため、私の場合、成田からカタールのドーハを経由するエジンバラ行img_3691きとなったこともあって、現地到着日はエジンバラの街中を散策する余裕もなく、直接エジンバラ大学構内にあるゲストハウスに向かうことになった。初日夜はレセプションで学会参加者やその家族の人たちが久方ぶりの再会を祝福しあう中に、下手な英語ながら会話に参加した初対面の私を歓迎してくれて上機嫌になったこともあって、何杯ワインを飲んだか覚えていないが、ちょうど英国のEU離脱問題の渦中であったことから、この種の政治・社会問題が話題に上っていたことだけははっきりと覚えている。参加者の出身国は、英国や米国がやはり多く、次いでフランスやドイツ、スイスなどで、珍しいところでメキシコなど中南米の方々といった構成だった。日本を含めアジア諸国からの参加者は私一人だけではなかったと思われる(もっとも、アジア系の研究者もいたが、本拠地を米国においている人々だった)。シュタイネック会長に日本時間学会事務局の平田さんから預かっていた日本時間学会の活動内容がわかる学会誌など手渡しして初日は終了した。

 

翌日から5日かけて各自の発表になったが、ISSTは「時間」をテーマに様々なディスシプリンを背景とする研究者が集う学際的な学会という性格上、研究者の専攻領域やその発表内容も千差万別、哲学や文学または社会学、そして物理学や情報科学ないし計算機科学、経済学や生物学や心理学など日本でも馴染みの既存ディスシプリンの研究者が圧倒的であったが、中には米国で特に盛んになっているように思われるフィルムスタディーズの研究者も参加していた(ティータイムで話した女性研究者は、勅使河原宏や大島渚などの作品も研究対象としており、その話で結構盛り上がった)。そこで感じたことは、こうしたフィルムスタディーズの専門家だけでなく、翻訳を通じて日本の文学作品や映画などに親しんでいる欧米の学者が意外に多いということだった。中でも、日本からの唯一の参加者である私を気遣ってくださり色々お世話になったスイスのチューリッヒ大学で研究している女性研究者は、戦争や大地震などの災難を文学がどう受け止めてきたのかということをテーマに、それと「時間」の問題系を絡ませた発表をし、外国の方が日本の惨事と文学とのつながりをどのように感じとっているのか、普段では気がつかない点に蒙を開かされたりもした(そのことで色々質問もしたこともあって、特に仲が良くなり、彼女が贔屓にしている古井由吉の『仮往生伝試文』の初版本を私が持っていたので、帰国後彼女の元に送ったりもした)。                                                  発表の様子 ↓

img_3693 その他にも分析哲学の主題化された問題系を中国哲学や仏教思想との比較から論じる発表や生命科学から「時間」意識の発生を追求する研究の発表など、私の専攻である科学哲学にとって密接に関連する発表もあり、普段つながりを意識しないような発表もあり、興味を広く持っている人ならば相当楽しめた学会ではないかと思われる。特に、それぞれの発表に対して「領域侵犯」おかまいなし、遠慮会釈なく飛び交う質疑の応酬には、それが概して日本の学会にやや欠けている要素ではないかと感じてきた私にとって、新鮮であったことはもちろん、それ以上に羨望の念を持ったことも確かである。日本の学会にも良さはあるが、こういったいい意味での「遠慮のなさ」は、丁々発止やりあうオープンな場において真理を探求していく営みである学問の発展のためには必要不可欠な要素ではないかと、改めて考える契機にもなったことは確かである。

学会4日目に私の発表はあった。The Timeless Theory and Modal Realismと題する、文字通り物理学者Julian Barbourの無時間的時間論の再検討と、当該理論の様相実在論との親和性を論じ、物理学や哲学において主要な論点の一つを形成するPresentismやEternalismの対立を超克する方途を探ろうとする内容の発表であったが、発表の四分の一ほどをBarbourの研究内容を紹介することになったので、特に物理学や哲学における時間論に不案内な研究者の方々から、当日の夕方に講演が予定されていたBarbourの理論の概要がよくわかったとの反応をいただいた。

ただ残念なことに、Barbourの講演は実現しなかった。というのも、Barbourのお連れ合いの御不幸があって講演どころではなくなったからである。Barbourの理論は、私が京都大学に在籍していた頃から研究テーマの一つとして最も関心を抱き、一度社会人になってから再びアカデミズムに戻るまで一貫して論文等を追っかけ続けてきた存在だけに、Barbourに会えなかったことは残念で仕方がない。しかし、御家族の御不幸とあってはやむを得ないことである。代わりに、Barbourと共同で研究しているオックスフォード大学の研究者が急遽講演することになり、Barbourの理論の説明というより、それ以前に物理学が「時間」をどのように扱ってきたのかをニュートン力学から熱力学、相対性理論や量子力学への物理学の発展過程に沿って整理し、それを今日の宇宙論につなげる啓蒙的な内容にとどまっていたが、時々ジョークを飛ばしながらの面白い講演だったのが救いであった。

img_3867 最終日の夜は、ちょっとした晩餐とその後のダンスパーティで、皆が酒が入るたびに益々陽気になってダンスや会話を楽しみながら次回の再会を約束して、日本人の私としては「情熱的な」挨拶を交わして別れを惜しみあった。シュタイネック会長からも、日本の研究者の方々の協力によって、もっと国際色豊かで学際的な大きな学会にしていきたい、との言葉をかけられた。その他の参加者からも、もっと日本から来てほしいとの声もあった。文化的背景の異なる世界中の研究者が一堂に会する機会というのは、そう多くはない。こうした貴重な機会をもっと活用していくことで、自らの研究にとっての新たな刺激としたいという思いを強くする経験であったことは間違いない。(了)

←最終日のバンケットの様子

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