Leader’s speech by HIRONAKA Heisuke

 

時間学会設立総会(2009年6月13日)における広中平祐先生のご挨拶(抜粋)

(録音から原稿を起こし,内容を損なわないようにしながら,一部を選択して文章に直した。従って,この文章の責任は一切編集した井上愼一にある。)

 

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皆さんこんにちは。

時間とは非常に不思議な存在なのですね。はじめに,金子みすゞ#1の詩の一部#2を紹介しましょう。

昼のお星は目に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ。

見えぬものでもあるんだよ。

 

我々はずーと何億年という祖先の祖先の祖先までたどれば,長い長い時間の中で,いろんなかたちで四苦八苦して今日まで進化して,生活をエンジョイしているわけです。あるいは生活で苦しんでいるわけです。

いずれにしても,その中で時間というのはよく空気みたいだと言います。誰でも心の奥深いところで考えてみると,これほど影響されているものはないと知りながら,あまり考えてこなかったものです。ちょうど空気がなくなると人間はすぐ死んでしまいます。あるいは水がなくなれば,生きてはいけません。けれど水や空気なんていうものは当たり前だと思っているわけですね。時間というのも当たり前だと思っているわけです。だけど,時間がどれだけのことを我々にしてくれたか,考えてみて下さい。これまでの人類の長い歴史,そしてこれからの長い歴史があるわけですが,そういうことだけではなくて,現在そのもののなかに時間というのは,いろいろな形で我々に関与しているわけです。少し静かに一人で考えていると時間ほど我々に影響しているものはないんじゃないか とわかってきます。

たとえば,幸い我々は先進国に住んでいますし,先進国に住めばいろいろな活動が生活の中に入ってきます。いろんな情報が毎日毎日入ってきます。いわば,高度情報化時代のただ中にいるといってもいいわけですね。高度情報化時代には,この前のサブプライム問題の時のように,実にグローバルな問題,要するに個々の企業,国家でさえ予測できないような大規模な大きな変化が起きるという時代ですね。そういう時代になってくると,時間というものが非常に深刻になってきます。グローバリゼーションとそれから高度情報化,このおかげで,振幅が非常に大きくなる。見事なアップがあるかと思うと見事なダウンがくる。そのアップダウンの振幅が非常に大きくなる。それと同時に。周期といって,それが移り変わってゆく波の間隔が非常に短くなってくる。昔だったら,この状態だったら10年ぐらい大丈夫だろうといっていたことが1年後に様変わりするようなことが経済現象であれ,環境問題であれ,あちこちに起こることになります。

国家そのものの存在意義も変わるかもしれません。国家というのはほんとの民主主義であるためにはちょっと大きすぎて個人からかけ離れてしまいかけています。ミクロとマクロのギャップが大きすぎるのです。そうなってくると国家というものはもう細かな日常生活のように,たくさんの人が関与する問題を扱うには大きすぎる,ということになってくる。ところが一方,国際的な問題,例えば大規模な経済グローバルな活動になってくると国家では手に負えないようになる。つまり,国家は小さすぎて困るとなってくる。実際に環境問題だって,もう一国で解決できる問題ではなくなっている。あるいは伝染病にしてもこう頻繁に人が移動するようになると一つの国では手に負えないような時代になってきている。そういう時代にこそ二つの側面が非常に強烈に我々に影響するわけです。一つは時間単位が短くなることです。とにかく今年大丈夫だから来年はたぶん悪くてもたいしたことはないだろう。などというようには思えなくなってきている。そうかと思うとだからこそ非常に長期的に40年先はどうなんだろう,50年先はどうなんだろう。ということも真剣に考えないとこの世の中はおかしくなるのではないか。ジャックアタリ#3さんの本を読んでいたのですが,2040年には非常にやっかいな問題が起きる可能性がある。また2080年には今から想像できないような大きな変化が出てくるだろう。と書いてあった。それが超国家主義になるのか,あるいは処置なしの強力なゲリラ多発になるのか,原子力まで使ってゲリラが圧力をかけるようになるのではないか,まあーいろいろな事が想像できるのですが,このときこそ非常に長期的に我々は人類の将来について真剣に考えなければいけない時代になる。つまり,短い時間と非常に長い時間と両方を真剣に考えなければならない時代になってきているのです。

しかし,いざ時間ということになると学問としても何が焦点かよくわからない。特に,今までの縦割りの学会のあり方,あるいは学問,教育,行政のあり方,縦割りの視点からみると,時間はどこにも当てはまらないという印象を受けるわけです。それでそういう点で時間学をなさる方は苦労しておられると思うのです。

みすゞの詩#4をもうひとつ紹介します。

私は不思議でたまらない,

誰にきいても笑ってて,

あたりまえだ,ということが。

時間学というのは当面そういう課題ではないかと思います。

それから僕の信念ですけれど,これから規模序列という時代は少しずつ崩れてゆくのではないか。つまり規模序列で国をまとめて行くという力は次第次第に弱まって行くのではないか,と思うのです。そうすれば,小さく産んで大きく育てる。人間本来の小さい子供を産んでやがて成長していってやがて成熟して,本当に大人になって,つきあえるようになる。それと同じで,時間をかけることが時間学の学会としても一つの課題だと思います。(終わり)

 

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#1:金子みすゞ(1903〜1930)は山口県出身の童謡詩人。西条八十らに賞賛され,将来を期待されていたが,26才の若さで自殺した。

 

#2:廣中先生が引用された金子みすゞの詩

 

星とたんぽぽ           金子みすゞ

 

青いお空の底ふかく

海の小石のそのように,

夜がくるまで沈んでる,

昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ,

見えぬものでもあるんだよ。

 

散ってすがれたたんぽぽの,

瓦のすきに,だァまって,

春のくるまでかくれてる,

つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ,

見えぬものでもあるんだよ。

 

#3:ジャック・アタリ(Jacques Attali, 1943年11月1日〜)は、フランスの経済学者、思想家、作家。

著書には

21世紀の歴史――未来の人類から見た世界

反グローバリズム―新しいユートピアとしての博愛

などがある。

 

#4:金子みすゞの詩の全文。

 

不思議              金子みすゞ

 

私は不思議でたまらない,

黒い雲から降る雨が,

銀にひかっていることが。

 

私は不思議でたまらない,

青い桑の葉たべている,

蚕が白くなることが。

 

私は不思議でたまらない,

たれもいじらぬ夕顔が,

ひとりでぱらりと開くのが。

 

私は不思議でたまらない,

誰にきいても笑ってて,

あたりまえだ,ということが。